2015年9月27日日曜日

あけてある窓の淋しき


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小平村を横ぎる街道
白く真すぐにたんたんと走ってゐる
天気のよい日ただひとり
洋服に下駄をはいて黑いこうもりを
もった印度の人が歩いてゐる
路ばたの一軒家で時々
バットを買ってゐる

やさしい、出来た山羊であった 


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あけてある窓の淋しき


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百草園の馬之助さんは
どうしたかな
春はまだ浅かった
山の麓の家で嫁どりがあった
坂をのぼってみると
こぶしの花が真白く咲いてゐた
仏陀の雲のちぎれ
西の山に日の光さす


洋服に下駄に黑いこうもり傘、そんな恰好をして歩きたい。
一番いいのは何も持たないでも歩けること。
しかし何かを持つとなると、こうもり傘かもしれない、杖にもなる。
そんな無一物もいい。
そして野原を過ぎて友達を訪ねて一献傾けて帰るのだ。

「あけてある窓の淋しき」は、わが生涯のワンフレーズだ。

これは外から見た窓だとずーっと思っていたが、中からのものだという人に出会った。が、黙っていた。

あの窓の内には必ずや人生があり、食べて寝て起きて出ては帰り・・
「人の世の淋しき」となる。

「百草園の馬之助さん」は、なつかしいひと。


 今日は一日「山中さんを支援する会」の通信づくりに、資料の精査をしながら過ごした。途中、原稿をくださる市会議員の方にお会いして、玉稿をたまわった。ありがたいことである。

 寄稿の文章を、添付ファイルで送る方もいて、皆さん、締め切りぎりぎりで文章を寄せてくださる。ありがたい。

 おかげで、いい「通信」ができそうである。
 ただし、本当に本当に疲れた。明日は「通信」の印刷だ。

夕食:秘密・・・

 我が家のこのところの夕食の内容が、あまりにもお魚が多いらしく、心配したBlogの友人が、

「北川さ~ん。毎日魚だね~。お魚も体にいいけど、
 お肉も食べなきゃ~。」

         とメールしてきた。その人は、お肉屋さんだった。












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