2015年10月30日金曜日

無為自然



98
西脇順三郎1933

梅雨にしめる
黒い石のひややかに
夏の夜明


99

ゴブラン織の淋しさ
ゴブラン織に織られた
裸の女の
淋しさ


100

垣根の
春の
淋しさ

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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「淋しさ」、なんでも淋しくなるらしい。「淋しさ」の連発だが、
「淋しさゆえに我存在す」といっていいくらい、この詩人にとっては、
あらゆるもののかそけき淋しさが、気になるのである。

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 昨日ガタピシを直した、台所と居間のガラス戸を電気サンダーで磨いた。 部屋が明るくなった。
 「山中さんを支援する会」の会計の中間決算をする
 カレー屋さんに電話。元気だった。よかった。
冬支度。
夕ごはん・カキフライ 
お土産の黄鮒最中と西脇順三郎全集



冬支度


97

風は庭をめぐり
黄色いまがった梨を
ゆすり
小さい窓からはいって
燈火を消すことがあった




(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)



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ああ、この詩を短冊に書いて柱に掛けておこう。





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 朝から、津地裁に行く。往きは、1時間5分かかった。
判決が12月10日になったのに、なぜ行ったのか?


答え

 もし津地裁が延期変更した判決日の連絡が伝わらなくて、今日、傍聴にみえる方がおられたら申し訳ないので、お詫びするために行ったのである。
はたして、幸いなことにお一人も来られなかったので、安堵して、家路についた。



 津地裁は、何事もなかったかのようにあって、玄関では、黒塗りの公用車に下吏が乗り込んでいた。


 
 そのあと、布団・カーペット干し、椅子の入れ替え、台所と居間のガラス障子をカンナで削ってガタピシを直した、草刈機を直す、郵便局から送金、倉庫に断熱材を敷き、クロネコで荷物発送。冬支度をした。

夕ご飯・すき焼き


2015年10月29日木曜日

小ゲラ


10月28日

96

春はまだ浅い
ようこそ、ゲラちゃん、再見!
山々はうす黄色く
松林が黒くぼけてゐる頃
石川先生と多摩の丘陵を歩く
谷に水車がまはってゐた
『文学や絵でかくと美しいが
あんな所で実際住めるものぢゃない』
とチーズを包んだ弁当をあけながら
さう云った
坂を下って畑の中をあるくころ
『わたしが木曽の山の中を歩いた時
山の中に家があったので
昼飯をやるに都合のよいところで
あると思ったので、その家を訪れた
誰も出て来ないから
かまはず障子を開けて畳の上で
ころがり休んだことがある
後から考えてみるとそれは村の
避病院であった』
と笑ひ顔して行った
路ばたで鶯が鳴いてゐた
『あの鶯の鳴き方はうちの八百屋の
小僧が自転車にのりながらまねする
鶯の声より下手だ』
不動も詣らず帰った
鶉(うずら)の鳴く日の如く淋しかった

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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この石川先生は、可笑しい。鶯の鳴き方の話は、石川先生の真骨頂だ。何にでも、発見は可笑しい。

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午前中、仕事。帰って大根畑の土寄せ。



 今日は、我が家の庭の柿の木に、こゲラ三羽がやって来た。樹皮をつついて虫を取っていた。おまけにドラミングまでしてくれて、妻が喜んだ。
カメラを持ってきて撮った。上の写真がそれです。満足です。


 こゲラが帰ったころ、6人のお客があった。
山中さんの判決が、本当は29日だったので、すでに津市に宿泊の予約をした人が集まって、「山中さんを支援する会」の代表の私の家に、激励に来てくれたのだ、栃木・石川・福井から来た人もいた。
津地裁の判決延期がうらめしい、と言われた。
「支援の会、頑張って下さい」と言われた。

 
 Ma Fammeは畑でとれたあずきでぜんさいを作って饗してくれた。みなさんは、満足して帰られた。

こゲラが来てくれたのと同じくらいうれしかった。

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「棄てる👹あれば、拾う神あり」だ。       (答え・鬼)

2015年10月28日水曜日

理不尽

10月27日のこと
とある屋敷の紅葉でした

94

「失はれた浄土」は盲人の書いた地獄
へくそかずらの淡いとき色も
見えないただ
葡萄の蔓
ひゃうたん

がその庭の飾りで
ふるへてゐる


95

ロココの女
すきがあれば金をつめる
涙は薔薇と百合の間にこぼれる
心のくもりは宝石のくもり


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


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94

「へくそかずら」は、悲しいほどかわいそうな名前だ。しかし、最初から開き直って、植物の人生を一番謳歌しているかもしれないから、天晴れな名前だ。へくそかずらは、けなげだ。

先日、岡山に行ったら車窓から、葡萄の棚が見えた。葡萄の蔓(つる)が風に揺れていた。収穫後の葡萄の蔓を見たのは初めてだった。

95
は金銀財宝に囲まれた人の、貧乏な人以上の悲哀を感じてしまう。
こんなつもりで西脇は書いたのだろうか。

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 午前中、「山中さんを支援する会」に寄せられた、一言メッセージを入力する。HPに載せるためだ。一人一人の思いが伝わってきて、感動する。とりあえず100人のメッセージを打ち込む。皆さんが、支援する会の「通信」を克明に読んでくださって、書いておられる。

 享栄学園の理事の連中の、何一つ大義のない、山中さん追い落としを、みなさん全員が、許せないと思っておられる。

 なぜ山中さんを排除しようとしたのだろうか。彼がいても、学校のために働いてくれるだけの存在なのに、なぜ卒業式の一週間前に校長解任したのだろうか。

 彼らには、生徒が山中校長先生から卒業証書を受け取ることさえ、許せなかったのだろうか。学校法人の理事のやることじゃない。

 とすると、山中さんを卒業式の一週間前にどうしても校長にしておけない理由があったのだろう。

 

 校長解任の理由は、文科省の委託研究事業に応募した鈴鹿高校の書類に、勝手に鈴鹿市教委の名前を使ったので、文書偽造の罪だということ。

 それに関して、鈴鹿市教育長から公文書による抗議を受けたからということ。

 

 以上二つが、校長解任の理由だと、理事長が学校で職員に説明しました。私も聞きました。

 そんなことで校長解任ってあるのかい?
私も卒業学年の担任をしていたのですが、じゃあ、誰が校長になるの?卒業式は誰が卒業許可を言い渡すの?
第一、生徒になんと説明するんじゃー?!誰か説明せい!
お前ら生徒のはれの卒業式を台無しにするんかー!?

と、質問したけど管理職はなんにも答えなかった。


 ほんまに、あほちゃうかーっと思いましたね。

 もうひとつ、あほかいな、っていうことがあるんです。
理事会の言った校長解任理由二つは、すぐに二つとも否定されたんだから、笑えるんです。



 文科省が、申請書は計画段階なのだから、なんら文書の偽造に当たらないと言ったのです。

 抗議文の方は、自分に勝手に市教委の名前を使われたと言って頭に来て公文書で抗議した教育長が、あの時は頭に来てカッカ来ていたけど、校長の解任までは考えていなかった、と言ったのです。



(この教育長の責任は問われなくてはならないです、鈴鹿市の市長も責任があります、なんせ任命権者が市長なんですから。)

 
 つまり、校長解任の理由は、きっちり間違いだったのです。


ところが、理由が否定された理事会は、

生徒に、保護者に、教職員に、一切説明なしに放置したのです。

生徒も馬鹿にされたものです。
保護者も馬鹿にされたものです。
教職員も馬鹿にされたものです。
私立学校を統括する県教委も馬鹿にされたものです。
税金から私学助成金を出している県民も馬鹿にされたものです。

 この後、校長解任をした理事の連中は、山中さんに対して、
それまで言ってもいなかった10個ほどの事柄を理由にして、
「だから懲戒解雇にする」と、9月28日、懲戒解雇を言い渡したのです。

 そうして、その理事の人たちは、みんな出世して理事長になったり校長になったり、ちゃっかり役職についておられます。

山中校長先生は、30年鈴鹿高校を作り上げてきたのに、みんなよそから入ってきた理事の人たちに、懲戒解雇されて、

退職金ももらえないし、
生活を支える仕事も取り上げられ、
人間としての名誉を蹂躙され、
無実の罪を着せられ、

3年間経ったのです。

山中さんの、3年にわたる裁判の判決が、12月10日に出ます。

(本当は、明日、10月29日が判決日だったのですが、
裁判所が、裁判所の都合で延期してきたのです。
6月から10月29日判決は決まっていたのです、それなのに。)






古代米の黒米
こんな理不尽なことがまかり通っているのです。

絶対許せないです。

このままでは教育も地に墜ちてしまいます。

勝利を勝ち取り、こんなあほな争いをやめさせよう。



 山中さんを支援してくれる人々の思いを読んで、この事件をふっと振り返ってしまいました。



 














2015年10月26日月曜日

からまつ


93

暗いはたごやの二階で
二子多摩川の鮎をたべた
三人の詩人と
そこは独歩の小説に出てくる
宿屋で大山街道に入口がついてゐた



(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 朝から昨日約束した廃物廃棄の運搬をしてあげるため、四日市に行った。ゴミを引き受けてくれる施設の方は本当に親切だった。

 その帰りに郵便局と銀行によって、妻の風邪ひきさんを強引に医者に連れて行って薬をもらって、お昼はスーパーのお弁当食べて、帰ってくるまで寝ていろと約束させて、仕事に行った。

 えいやっとばかり元気に仕事をして、帰ったら妻がまだ寝ていたので静かに、自分も昼寝をした。起きたら6時だった。

 夕ご飯のキムチ鍋を作ってあったかく食べた。
林の道は歩む人をみまもる

 急に寒くなった、伊賀は最低気温が4度らしい。

 冬は駆け足でやってくる。

 紅葉も今年最後かと、もう一度見たいなあと思う。
紅葉の代わりに、北原白秋の「落葉松」を読んだ。

彼方に山を見ながら




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    落葉松
             北原白秋

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
時に紅葉がむかえてくれる
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。


からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。


からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり。
からまつとささやきにけり。


霧もうれし
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。


からまつの林の雨は
さびしけどいよよしずけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。



世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

2015年10月25日日曜日

ものくれる人


92

教会
あの頃の秋の日
恋人と結婚するために還俗した
ジェジェトの坊さんから
ラテン語を習ってゐた
ダンテの「王国論」をふところに入れ
三軒茶屋の方へ歩いた
あの醤油臭いうどん
こはれて紙をはりつけたガラス瓶
その中に入れて売つてゐるバット
コスモスの花が咲く
安ぶしんの貸家


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな坊さんはいい。勉強にのめりこんでいたけど恋人ができて、
さらに人類の勉強を始めた坊さんだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

教会の柿が鈴生りだった
 今日は、日曜日なので、妻の通う教会に私も行った。坊さんがいた。

 牧師さんだ。「はじめに言葉ありき」を習った。讃美歌もなかなかいいものだと思った。いい人ばかりだった、いつもそうだ。

 帰り、もの呉れるという人のもとに赴く。ありがたくいただく。家の改築をなさるらしいので不要のものをくださったのだ。

 そのお礼に明日は、軽トラで廃棄物を運んであげる約束をして、帰りに中華料理屋さんに寄って特性ラーメンセットを食べた。
家で、いただいたものを片付けた。

 
 自転車で町から教え子が来た。町から山に向かって自転車で走っていたら先生の家があると思いついて寄ったと言った。

お茶を淹れてあげた
 


 落花生をゆでてあげた。スダチを持たせて返した。
五時半になると暗くなるので帰した。その子はもう50歳になったといった。

 


元気な子(人)である。

備前の国 秋の旅


93

暗いはたごやの二階で
二子多摩川の鮎をたべた
三人の詩人と
そこは独歩の小説に出てくる
宿屋で大山街道に入口がついてゐた



(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 朝から昨日約束した廃物廃棄の運搬をしてあげるため、四日市に行った。ゴミを引き受けてくれる施設の方は本当に親切だった。

 その帰りに郵便局と銀行によって、妻の風邪ひきさんを強引に医者に連れて行って薬をもらって、お昼はスーパーのお弁当食べて、帰ってくるまで寝ていろと約束させて、仕事に行った。

 えいやっとばかり元気に仕事をして、帰ったら妻がまだ寝ていたので静かに、自分も昼寝をした。起きたら6時だった。

 夕ご飯のキムチ鍋を作ってあったかく食べた。
林の道は歩む人をみまもる

 急に寒くなった、伊賀は最低気温が4度らしい。

 冬は駆け足でやってくる。

 紅葉も今年最後かと、もう一度見たいなあと思う。
紅葉の代わりに、北原白秋の「落葉松」を読んだ。

彼方に山を見ながら




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    落葉松
             北原白秋

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
時に紅葉がむかえてくれる
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。


からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。


からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり。
からまつとささやきにけり。


霧もうれし
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。


からまつの林の雨は
さびしけどいよよしずけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。



世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

渡し場に しゃがむ女の 淋しき

10月23日(土)のこと


89


吉備津神社で40年ぶりに再会。合計260才。足取りが・・・。
竹が道にしたたる
むさし野の小路に
国定の描いたやうな
眼のつりあがった女
に出会ふ
何事か秋の葉の思ひ
今宵の夢にみる
くちた木の橋に
あかのまんまの色あせる


90

渡し場に
しゃがむ女の
淋しき

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

89は、「国定の描いたやうな 眼のつりあがった女」というのが、昔から
印象に残っていた。その小路の奥には、かならずや、かかる女がいて、所帯を切り盛りしているのだ。冬を前に、綿入れも作るだろうし、砧も打っているだろう。永遠の営みの健気さ。

90は、それこそ永遠に存在の淋しさを言葉にしたものと思う。「渡し場に しゃがむ女の 淋しき」 ああ、何にしても男が渡し場にしゃがんでいても絵にも何にもならない。女は偉大なのだ。

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吉備津神社
 朝、7時半に列車で岡山に向かう。昼に着いて、40年ぶりに学生時代の友達に会う。大学の山の仲間の同期会だ。5名。






吉備津神社600年の大イチョウ

 

 


その友達のベンツに乗って、吉備津神社を訪ねる。「雨月物語」の吉備津の釜があった。長い回廊が良かった。本殿の屋根も素晴らしかった。








 それから、吉備の国分寺の五重塔を訪ねる。よかった。


吉備国分寺五重塔







 そして雪舟が小僧として修行していた宝福寺に行った。叱られて柱にしばられて涙でネズミの絵を描いたという、そんな石像があった。


宝福寺の黄葉




ねずみと雪舟さん。まんまる・・。


 












どこも秋のたたずまいが横溢していた。その夜は、苫田温泉にとまる。ラドン温泉が良かった。






かくて、長い時をへだてた懸隔も40年分一気に消し飛んで、昔日のごとき一日は終わったのだった。


2015年10月22日木曜日

あかのまんま


86

腐った橋のまがりに
あかのまんま傾くあの
細長い風景をまがって
日に日に赤く・・・
歩いた


87

古木のうつろに
黄色い菫の咲く
うつつ
春の朝


88

女郎観音の唐画
絹本は数百の秋を積み
江戸の役者の似顔に似たる
芝の秋の思ひ出

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

我が家の倉庫裏の廃園にたくさんの赤まんまが咲いている。


さて、今日は朝から整形外科に薬をもらいに行き、そのまま仕事に。
早く行ったので、生徒の書き物を読む。四時まで仕事。それから定期点検の車屋さんに行き、点検してもらう。

「山中さんを支援する会」の支援者の方四人に手紙書く。
山中さんのブロブが、ホームページに載った。いいことだ。
きれいなネパールの写真があった。
何にしろ、ご自身で自分を表現することはいいことだ。

真っ赤なほうき草?


明日は、岡山に行く。大学の同学年の集まりがある。
岡山はこれまで通過しただけで、行ったことがない、楽しみだ。

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をりとりてはらりとおもきすすきかな  蛇笏

山は暮て野は黄昏のすすきかな  蕪村

天高し雲行く方に我も行く     虚子

天渺渺笑ひたくなりし花野かな  渡辺水巴

鰯雲ひとに告ぐべきことならず   加藤楸邨







2015年10月21日水曜日

ADIEU MON AMI !


10月19日(月)のこと


秋は、季節は、私たちを置いて移り行く
 昨日、数日間の日記を書きました。
しかし、この19日のことは書けませんでした。

 大学時代の親友が亡くなった一報が、奥さんから入り、
その夜は、布団の中で大学時代の彼の横顔や笑顔や、髪をかき上げるそぶりなど、ずーっと瞼に浮かんできて、一晩中彼と付き合いました。

 昨日、実は、このことを書くことができませんでした。
身内の死も悲しいが、友人の死もまた違って悲しいです。


ブナ清水のブナたち、再見!
 一緒に過ごした青春のころ、私よりはるかに大人(たいじん)の風格のあった彼は、明治時代の男はこんな風だったのだろうと思わせる人でした。

 

余り些細なことにこだわらず、いつも笑っていました。寡黙で、ドストエフスキーを読んでいました。その研究会もしていました。苦学生で、下宿代が高いと言って、新聞配達をして住み込んで、そこで勉強していました。

 
 熊本に帰って、県の職員になられた後、県立高校の国語の先生をして、少し早く退職をして、奥さんの塾を手伝い、暮らしていました。

 私がここ2年、山中さんを支援する会の活動をしているのを、いつも支援してくれました。理義が通じなくなったら終わりだ、と彼はいつも言っていました。

 鈴鹿高校の山中校長先生を、卒業式の数日前に解任して、その後学校から排除して、あまつさえ、その後からいろんな理由をつけて懲戒解雇までしてしまう、同校享栄学園理事長以下理事会の仕打ちに、彼は、「許せない」と言いました。
君がこの世で見た黄葉はどんなだった?知りたいよ。

 
 遠い九州から支援をしてくれました。

 





 彼と別れて40年、いつも伊勢に遊びに来いと言って、40年。
ここ3年、山中さんの支援活動で電話で話することが増えて、うれしかった。
今年に入って入院しているとカンパの振込用紙に書いてあった。
電話したら、闘病の日々に入ったと、奥様から聞いた。

 
 私は行った先の絵ハガキをたびたび送りました。それくらいしかできなかった。会いに行きたかったが、できなかった。
行っても、会うのが失礼な気もして、躊躇した。


 入院中は無菌室に入って治療をされていたらしい。時々帰宅を許されたとき、私が送った、四日市の水沢のほうじ茶がおいしいおいしいと、たどたどしい字でハガキに書いてきてくれたのが、最後の書簡だった。


 


 今日は、午前中仕事して、1時から朝明渓谷へ車で走った。根の平峠に向かって登り、手前から伊勢谷に入って、ブナ清水という、滾々(こんこん)と湧き出る清水を飲みに行った。
いい水だ。山の斜面の大石の下から湧き出しているのだ。
2リットル汲んで、家のお土産にした。

 
 今日は、この水で最高のお茶を淹(い)れ、フォーレのレクイエムを聴いて、彼を偲ぼう。
どこにいっても一人でもパーティー

 
 逝った人を偲ぼう。

 

 昨日東京の知人からいただいた焼酎が熊本は球磨川の「六調子」だったから、それも飲んで、彼を偲ぼう。

 

 山を歩きながら、彼の笑顔をずっと思い、知ってる歌をみんな歌った。

       
誰の仕業か?神のいたずら
  


   へたな歌聞かれて下る秋の山  











2015年10月20日火曜日

運動会

10月18日(日)のこと

わが組綱引き優勝
85

よもぎの藪に
こひるがほの咲く夜明
あさめしに招かれて
そばを食べに急ぐ
露の旅は無情の天地
日天月天の間にすだく
生命の時間今日も過ぎ行く

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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この日は、町内の体育祭。小学校で盛大に行われた。

今年は組長さんだから、朝からテントを建てに行く。去年の組長さんと二人でほぼ立てた。

快晴の一日、テントの中で村人とおしゃべりして過ごした。たくさんの人と知り合いになった。

パン食い競争に出た。5等だった。
最後の恒例のくじ引き大会で10等賞が当たった。帰ってあけたら、目覚まし時計だった。うれしかった。
がんばれ


一生懸命







バット


藪の中
10月17日(土)のこと

84

耳に銀貨をはさみ
耳にまた吸ひかけのバットをはさむ
かすりの股引に長靴をはく
とたんの箱をもつ
人々の昔の都に
桜の咲く頃

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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「バット」はなつかしい。お金のないときはバットを吸った、ハイライトが買えないからだ。バットの表のデザインは最高だった。

昔の大学の演習で先生はぬけた前歯に缶ピーの両切りをはさんで、吸いながらそのまま話された。話の内容は忘れたが、感動した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなに赤い葉があった

この日は、終日、「山中さんを支援する会」のメンバーで、山中裁判の判決日の延期連絡のハガキを印刷して作った。

大変だった。


夕方、遠来の客人のお帰りを、
白子駅まで送る。

本当にご苦労様でした、と手を振る。

別れてから、明日の体育祭のお菓子や飲み物をスーパーで買いこむ。
すごい量だった。安く買えたから満足。

帰って風呂も入らないで爆睡した、疲れたのである。






薬師の巻毛を数へる秋


10月16日(金)のこと

80

なんの紅葉か?
秋の日ひとり
むさし野に立つ
ぬるでの下に


81

昔の日の悲しき
埃のかかる虎杖(いたどり)
木の橋の上でふかすバット
茶屋に残るリリー


82

鬼百合の咲く
古庭の
忘らるる
こはれた如露(ジョーロ)のころがる


83
雲の水に映る頃・・・

雲の水に映る頃
影向寺の坂をのぼる
薬師の巻毛を数へる秋
すすきの中で菓子を食べる
帰りに或る寺から
安産のお札を買って
美術史の大学院生にやった
なにのたたりかかぜをひいた


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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なんと、今日は一気に80から83まで掲載。
80の「ぬるで」は白膠木(ぬるで・・・しろいにかわの木という意味の名前か?)という字。紅葉は真っ赤。かぶれる人もいる。

83は大好きな詩。
「雲の水に映る頃」、とか「薬師の巻き毛を数へる秋」、最高である。「美術史の大学院生」は女性だと思うが、どうだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この日のことは、書きたくないほど忙しい日だ。



朝10時に身過ぎ世過ぎの学校勤めだ。
テストの採点を2時までぶっ続けでやる。

そこに妻が車のスターターがかからないから仕事に行けないという。急きょ帰る。そして仕事場まで送る。

帰りに、予定していた方を訪問。その方は優雅に自邸の庭の松の木の剪定をしておられた。剪定についての蘊蓄を聞く。
上がってお話を聞く。大福もちをいただきながら。
いつも楽しいお話だ。

ミカンと梨と浜から上がったばかりのイワシをいただく。

帰途、友人の風邪をひいたのを見舞う。

帰ったら、もう客人が来ていた。「山中さんを支援する会」のメンバーの一人だ。その晩は三人で明日の会議の資料を作る。

その客人はヘビースモーカーであり、我が家の久々の燻し・除虫・虫送りの行事だ。

たばこのたたりかかぜをひいた。







山栗の中にひそむその哀愁


10月15日(木)のこと

野にありて花はむらさき
79

九月になると
長いしなやかな枝を
藪の中からさしのばす
野栗の淋しさ
その実のわびしさ
白い柔い皮をむいて
黄色い水の多い実を生でたべる
山栗の中にひそむその哀愁を

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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実りだしたばかりの栗の実はやわらかく、哀愁がある、というのかな?
生で食べるのは賛成!すべからく生で食したいものだ、🐵のように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

西脇の詩と遊んでられない一日だった。
午前中は、仕事。たくさんの文章を読んで添削した。

帰って妻と畑に芋を掘りに行きました。すると、同じ小作のSさんが来ていて、草を刈っていました。

そこに、山中保一さんから電話。
山中さんの裁判の判決の日が延期になったとのこと。
そんなことあるのかよーっと畑で叫びました。
Sさんも、裁判所は非常識この上ない。
私明日津地裁に行って文句言ってくるわーと叫びました。

山中さんにはもう一度裁判所に確認してその理由を聞いてきてくださいと頼み、行ってもらいました。
裁判所曰はく、「まだ裁判の判決が確定していないため」だと・・・・!

そろそろ晩秋の装い
6月から10月29日は判決と自分で決めたのに、また延ばすのかよー!
これは宿題出来なかったので提出もう少し待ってくださいーっていう出来の悪い生徒とおんなじだ。
津地裁大丈夫かよーって思いました。

夕方から百人近い傍聴参加予定者に電話で変更を伝えました。

判決期日  12月10日(木)9:50~

夕ご飯が9時半、くたくたで前後策を考えながら寝ました。




神話



10月14日(水)のこと
こんな木があった

78

こま駅で夏の末
百姓のおばさんから梨を買った
その女(ひと)は客をよろこばす
つもりで面白いまねをして
笑わせてお札のかはりをした
この辺に郷土学者がゐないかな
神話の残り淋しき

(西脇順三郎詩集
       「旅人かへらず」)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちは神話を捨てて久しい
私たちの暮らしは神話にすらなりえない
余りにもあからさまだから。


木のぼりして ベースボールが見られた時代


10月13日(火)のこと

75

誰が忘れて行ったのか
この宝石
この極光の恋を

イチョウがまだらに黄葉し出した

76

木のぼりして
ベースボールが見られた時代は
よかったなーー


77

むさし野を行く旅者よ
青いくるみのなる国を
知らないか

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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75「極光の恋」もいい。
76は白い開襟シャツに綿の半ズボンズックの靴に違いない、白い帽子もかぶっている、少年。
なんてのどかな・・・。
77はゲーテの、オレンジみのる「イタリア紀行」の日本版かな?

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柿が鈴生りだった
ほぼ一日活動。
朝から3時まで「山中さんを支援する会」の看板の横断幕を書いた。紙が足りずに買いに行った。
墨の匂いの一日だった。
とてもいいものだ、墨の香りは。

判決の日には掲げようと思う。山中さんに勝利判決が下りますように。

夜は来客数名。山中さんを支援する人が集まって、裁判が早く終息するように願い、会議をした。とても有意義だった。