2015年9月30日水曜日

52
遠き山見ゆ

炎天に花咲く
さるすべり
裸の幹
まがり傾く心
紅の髪差(かみざし)
行く路の
くらがりに迷ふ
旅の笠の中


53
コスモポリタン

岩石の淋しさ

54

女郎花(おみなえし)の咲く晩
秋の夜の宿
あんどんの明かりに坐わる
虫の声はたかまり
手紙を読む
野辺の淋しき

55
散水

くもの巣のはる藪をのぞく

56

楢(なら)の木の青いどんぐりの淋しさ

57

さいかちの花咲く小路に迷ふ


 (西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


つくつく
「くもの巣のはる藪をのぞく」
そんなことがあっていい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は午前仕事。午後には津に行く予定だったが、やめた。

その代わり、畑にブロッコリーを植えた。
麦わらを燃やした。
そして玉ねぎの種を苗床に撒いた。



夕方、宅急便が来た。
中身は石と書いてあった。
手紙が入っていた。大きな水晶だった。

私が「山中保一さんを支援する会」の代表ということで、その石を山中さんに返してくださいと書いてある。

その方のご子息が、20年前に、山中さんの山岳スキー部の部員で、山中さんにお世話になったとあった。

しかし、ご子息は大学生になったが、病を得て入院。
そのとき、山中さんにお見舞いとしてその石をもらったという。

残念なことに、ご子息は治療の甲斐なく亡くなられた。

遺品の中のその石を思い出し、山中さんに渡したいと、送られたのだ。

なんということか、と思いすぐに山中家に走った。

山中さんは言葉を詰まらせた。
なんということ。

たくさんの生徒さんとの交流があったのだ。

しみじみと心打たれた。                   合掌



手紙の最後に

「長い間の闘い。ご心労の程お察し致します。
どうぞ、よい結果で、勝ち抜かれることを、陰ながら念じております。」

とあった。


お月見の翌朝


敗荷秋色濃く

9月29日(水)

51

青銅がほしい
海原の滴りに濡れ光る
ネプチュンの五寸の青銅が
水平に腕をひろげ
少しまたをひらいて立つ
何ものか投げんとする

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


西脇は、つくづく地中海的だと思う。
それでいて、むさしのの野原が交錯する。
みんなだれでも、こころのフィールドがある、
そしてたくさんのフィールドを見出していくのも、人生だ。



野趣に富む
近所にの家の庭、一升瓶にススキがさしてあった。

十六夜の月をこうして賞でたのだろう。

かかる風趣の愛で方もあるのだ。


くさかった。ぎんなんの山。
 







「山中さんを支援する会」の12号通信を見たという電話多し。
HPも今日公開した。
多くの方々に寄稿していただいた。感謝である。

午後、しごと。そのあと、「支援する会」の用事が多く、疲れた。
疲労困憊。


夕食:かつ丼。シイタケピーマン玉ねぎウインナーの野菜炒め。





2015年9月28日月曜日

「逸題」

48

ブナ
あの頃のこと
むさし境から調布へぬける道
細長い顔
いぬたで
えのころ草


49

きりぎりすの声
驚き心はせかる
昔の女の夢みる



50

どんぐりの実のやさしき

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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秋色濃き、道は続く。
歩いてこそ、景色は変わる。

私たちの眠りのあいだに、秋は装う。

簡単なことだ、眠ろう。
自分のため、せめて夜に活動するいきもののため。
火を吹き消して、闇の中に動物のように眠る。

グラデーションがきれいだった
がまずみ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午前。「山中さんを支援する会」のことを、話する機会に恵まれたため、準備する。
午後、津に行く。
話する。共感を得る。
協力の約束を得る。

感謝だ。

                 「支援する会」のHPが、
明日開。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の「天声人語」は、
井伏鱒二の「逸題」の話だった。





わが「天声豹語」は、昨日、
井伏鱒二の「逸題」が語られた。
一日早いのが自分で自慢だった。

天声人語子は、実は私の大昔の知己。
彼には、いつも声援を送っている。

がんばれ「天声人語」、がんばるぞ「天声豹語」!

なんのこっちゃ!?

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今日はおまけの、秋の俳句。


くろがねの秋の風鈴鳴りにけり  飯田蛇笏

新涼や白きてのひらあしのうら  川端茅舎

仲秋や月明かに人老いし    高浜虚子

晩秋や風樹の中の一ベンチ   大野林火

同棲や秋暁男のみ覚めて    堀井春一郎

秋の夜の憤ろしき何々ぞ     石田波郷

遥かなるものばかりなる夜寒かな 石田波郷

秋深き隣は何をする人ぞ     芭蕉



鑑賞ありがとうございました
                          頓首












2015年9月27日日曜日

仲秋の名月

月に叢雲
9月27日(日)

仲秋の名月らしい。
ならば、この詩だろう。

      逸題
            井伏鱒二

今宵は仲秋の名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
秋の名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

敬愛する先輩、こよなく酒と○を愛したトシさんが逝って
もう3年だ。秋の名月には、思い出す。

あなたも、蛸のぶつ切りをくれえ それも塩でくれえ」と、
この詩のように、注文していた。
肉を食べる

なんでみんなそんなに早く逝ってしまうの?

 

 今日は10時から「山中さんを支援する会」の第12号「通信」を印刷した。

 12時までかかった。K夫妻が手伝いに来てくれた。

 昼は、みんなで氷見うどん天ぷらを食べた。そのあと、製本封筒詰めのり付け、宅急便へもっていく。

終了、7時。     疲れた。


夕食:豚肉生姜焼き・おはぎ・サラダ・ビール


垂涎のJus







FAUCHON PARIS 

Pur Jus de Raisin

新鮮ぶどうジュース

いただき物である。

シャンゼリゼの FAUCHON に行ったことを思い出した。


あけてある窓の淋しき


44

小平村を横ぎる街道
白く真すぐにたんたんと走ってゐる
天気のよい日ただひとり
洋服に下駄をはいて黑いこうもりを
もった印度の人が歩いてゐる
路ばたの一軒家で時々
バットを買ってゐる

やさしい、出来た山羊であった 


45

あけてある窓の淋しき


46

百草園の馬之助さんは
どうしたかな
春はまだ浅かった
山の麓の家で嫁どりがあった
坂をのぼってみると
こぶしの花が真白く咲いてゐた
仏陀の雲のちぎれ
西の山に日の光さす


洋服に下駄に黑いこうもり傘、そんな恰好をして歩きたい。
一番いいのは何も持たないでも歩けること。
しかし何かを持つとなると、こうもり傘かもしれない、杖にもなる。
そんな無一物もいい。
そして野原を過ぎて友達を訪ねて一献傾けて帰るのだ。

「あけてある窓の淋しき」は、わが生涯のワンフレーズだ。

これは外から見た窓だとずーっと思っていたが、中からのものだという人に出会った。が、黙っていた。

あの窓の内には必ずや人生があり、食べて寝て起きて出ては帰り・・
「人の世の淋しき」となる。

「百草園の馬之助さん」は、なつかしいひと。


 今日は一日「山中さんを支援する会」の通信づくりに、資料の精査をしながら過ごした。途中、原稿をくださる市会議員の方にお会いして、玉稿をたまわった。ありがたいことである。

 寄稿の文章を、添付ファイルで送る方もいて、皆さん、締め切りぎりぎりで文章を寄せてくださる。ありがたい。

 おかげで、いい「通信」ができそうである。
 ただし、本当に本当に疲れた。明日は「通信」の印刷だ。

夕食:秘密・・・

 我が家のこのところの夕食の内容が、あまりにもお魚が多いらしく、心配したBlogの友人が、

「北川さ~ん。毎日魚だね~。お魚も体にいいけど、
 お肉も食べなきゃ~。」

         とメールしてきた。その人は、お肉屋さんだった。












2015年9月25日金曜日

雑木林



43

或る秋の午後
水に映る空
小平村の英学塾の廊下で
故郷にいとはしたなき女
「先生何か津田文学
に書いてくださいな」といった
その後その女にあった時
「先生あんなつまらないものを
下さって ひどいわ」といはれて
がっかりした
その当時からつまらないものに
興味があったのでやむを得なかった
むさし野に秋が来ると
雑木林は恋人の幽霊の音がする
名前の思い出せない花
櫟(くぬぎ)がふしくれだった枝をまげて
淋しい
古さびた黄金に色づき
あの大きなギザギザのある
長い葉がかさかさ音を出す

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)



「故郷にいとはしたなき女」。まるで伊勢物語だ。
私はこの詩が昔から大好きです。


歩く


「つまらないもの」をきらう女は、女の本質を突いていて、
つまらないものにしか興味と詩的なものを感じられない詩人とが
対比されていて、実に面白いのである。


野原を歩く



櫟の黄葉を見に行こう。

昔、この詩の通り、むさしのを歩いた。
 
武蔵野は淋しかったのを思い出す。







 
朝から手紙を書く。「山中さんを支援する会」の通信に寄稿してくださった方々に。
 
 郵便を出しに行こうとしたら、ちょうど、玉稿を依頼していた方が直々に原稿を持参してくださった。
 
 こちらが頂きに行くといったが、持っていくとおっしゃっていたのに対し、やはりもらいに行かなきゃ失礼だと話していた矢先、お越しになったのだ。
 なんとありがたいこと。

 お忙しい中、一寸でもと言って上がっていただきお礼を申し上げた。
市政から県政から万般に通じた方である。感謝、感謝!

午後は、「山中さんを支援する会」の仕事をした。

一日中降らず降らずみのお天気。

井伏鱒二の、漢詩の訳詩を「厄除け詩集」から。思い出したので。





  聞雁(雁を聞く)

         井伏鱒二


ワシガ故郷ハハルカニ遠イ

帰リタイノハカギリモナイゾ

アキノ夜スガラサビシイアメニ

ヤクショデ雁ノ声ヲキク



ああ、なんて飄々たる、そして人生の哀感の極み。
それでいて、なんというアイロニー。
「ワシガ故郷」 「ヤクショ」 がいいなあ!

夜の「雁」も、哀愁がただよう!



夕食:サバの煮つけ。












疲れ取れず

あるけば風あるけば黄葉


9月24日(木)


42

のぼりとから調布の方へ
多摩川をのぼる
十年の間学問をすてた
都の附近のむさしの野や
さがみの国を
欅の樹をみながら歩いた
冬も楽しみであった
あの樹木のまがりや
枝ぶりの美しさにみとれて


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


 樹木は偉い。樹木は客席。下をたどる人間や生き物を
観ている。黙って批評している。
 
 私も、西脇から野原の楽しさを覚えた。私が野原が好きだったから、西脇の詩が好きになったのか。わからないが、うれしいかぎりだ。

 「薮を覗く」これも、西脇から教わった。
ほかのものを覗くよりよほどよい。
そこにも、妖精の舞台がある。




枝のまがりツタのからまり
覗けばリンドウ























 京都の客人を送る。

 お彼岸のお寺様を迎えお経をたまわる。

 いつものように、お寺様のご高説を聴く。
今日のお話は、空海と最澄のお話。沖縄と難民とドイツの話。

 どれも面白いお話だった。聴講料を受け取ってくれなかった。
お布施もはずまなかったのに。

 午後は、山中保一さんの奥様が来られる。
ワイフと約3時間の、所謂、女子会だった。
初めて女子会を体験した。
有意義な一日だった。

夕食:きわめて簡素であった。
    カップラーメン。刺身(いただきもの)。ハンバーグ1個(山の残り)
    伊勢の地ビール。
   


    疲労困憊のうちに爆睡に突入。

多忙を極める

晴れ間に紅葉光る

9月23(水・祝)

39

窓口にたほれるやうに曲がった幹を
さしのばす花咲くさるすべりの樹に
何者か穴をうがつ
何事をかなす

ブナの巨木

40

高等師範の先生と一緒に
こまの山へ遊山に行った
街道の鍛冶屋の庭先に
ほこりにまみれた梅もどき
その実を二三個摘みとって
食べた
「子供の時によくたべた」
といって無口の先生が初めて
その日しゃべった





  
キノコ  妖精がいそう
       







高等師範の先生。めったにしゃべらなのがいいなあと思う。
ときに発する言葉が「子供の時によくたべた」というようなことば、であるのもうれしいことだ。



 昼前に、京都から「山中さんを支援する会」の発起人のお一人が来る。山中さんをはさんで、いろんな意見を聞かせてもらう。
午後2時ごろも、伊勢から会員の方が来る。
いろんな意見をたまわる。問題が解決した。

長い一日であった。

夕食:さしみ。(また)カマスの塩焼き。








淋しく感ずるが故に我あり


とある旧家を訪ねる
9月22日(火・祝)

39

九月の始め
街道の岩片(かけ)から
青いどんぐりのさがる

窓の淋しき
中から人の声がする
人間の話す音の淋しき
「だんな このたびは金毘羅参り
に出かけるてえことだが
これはつまんねーものだがせんべつだ
とつてくんねー」


ああ、なんと高い天井
「もはや詩が書けない
詩のないところに詩がある
うつつの断片のみ詩となる
うつつは淋しい
淋しく感ずるが故に我あり
淋しみは存在の根本
淋しみは美の本願なり
美は永劫の象徴」



けやきの縁。感動した。


西脇順三郎詩集「旅人かへらず」の
詩の本質が、ずばり、詩の中で語られている。

「だんな・・・せんべつだとってくんねー」

なんというおもしろい言葉!

だけど、うちの近所の百姓のおっさんは
みんな元気にこんな言葉しゃべっているが、あれこそ詩なんだ。



 安倍首相の言葉のどこを探しても詩はない。
百姓のおっさんのほうが数等格が上。

                政治の言葉ほど詩にほど遠いものはない。

「詩のないところに詩がある」

「淋しく感ずるが故に我あり」





 この日は、このような旧家を訪ね、長い人の営みの時間の長さ、
永劫を感じた。



 途中福井によって、旧知を訪ねる。
私の行っている「山中さんを支援する会」の活動について話をする。

 帰り道、電話が入って、「山中さんを支援する会」の通信のことで問題が発生したと聞かされる。

旅の余韻が吹っ飛んで、いよいよまた支援の会の用事をしようという気になった。

 帰ったら、これも大学時代からの友人が、二時間前から待っていたと、庭の柿をもいで、柿を食べていた。その日は泊まりに来るということになっていたが、早くからきてくつろいでいたのだ。

蚊取り線香を焚いて、「蚊が多いなあ、ここは。」と言っていた。
何か間違っているのではないかと思った。

夕食:氷見で買ったタラでタラ鍋。カマスの塩焼き。







2015年9月24日木曜日

立山弥陀ヶ原にて秋に会う



9月21日(月・祝)

ルビーだ

38

窓に欅(けやき)の枯葉が溜まる頃
旅に出て
路ばたにいらくさの咲く頃
帰って来た
かみそりが錆びてゐた


昼食川上のますの寿司 美味い!

ああ、この旅の時間の長さ。なつかしさ。
彼の詩の中では旅に出る人が必ず帰ってくる。
すべては回帰する。


巨大立山杉 負けた!



晴れた」!
 実は、21日は、テントで目覚めて、立山駅からケーブルカーに乘って美女平へ。
美女平から弥陀ヶ原まで8時間かかった。
歩いたのだ。

 何千人もの人がバスで室堂に向かっていたが、
そこを歩いたのは私たち二人だけ立ったのは、笑えた。
赤い!

向こうは立山 雄山!
5時半にケーブルカーで降りて、すぐに氷見に向かう。7時に親戚を訪ね、四方山の話に花が咲く。














神通川の閘門

9月20日(日)


32

落ちくぼむ岩
やるせなき思ひ
秋の日の明るさ


33

櫟(くぬぎ)のまがり立つ
うす雲の走る日
野辺を歩くみつごとに
女の足袋の淋しき


34

思ひはふるへる
秋の野
都に居る人々に
思ひは走る
うどの花が咲いてゐた
都の人々はこの花を知らず


 秋の詩句が続く。西脇は秋がとりわけ好きだ。「野辺を歩く」ひと。「女の足袋」がいい。野を横切り歩む。
ときどき薮をのぞく。薮の中には藪柑子。野原を歩く、なんと人間的な。そして、さみしきこと。女の足袋を思い出して艶っぽいこと。




 さてこの日、私たちは朝5時に車で富山に向かった。東海北陸道で、ひるがのまで一気に走る。
次は桜が池パーキングで時間調整。
一時間ほど、城端の町やその山を眺める。そして富山に。
神通川を渡って目的地に。

 ここに訪ねたのが、私が7年前に四国お遍路を歩いていた時にお出合いした方である。この方と、私たちの氷見の親戚のことで、ご相談にあがるために、訪ねたのだ。

 会社を創業されて45年。今は相談役。「富山湾を愛する会」の理事長。異業種交流会会長。人間の持てる力を全開して誰もが元気に働き幸せになる社会を実現しようと活動なさっている方。

10時から4時まで、いろんなお話を伺った。本当に偉い人とはこんな人、と私たちは思った。

神通川の運河に作られた閘門を見に行く。ちょうど水門が開かれ、海の水準まで船が下がっていくのを見た。誰が考えたのだろう、段差のある川を船で航行する仕掛けを。感動した。
中島閘門


そして、私も「山中さんを支援する会」の活動をお話しした。


お別れして、立山駅に行き、駐車場近くにてテントを張って寝る。快適な気候で、熟睡。無料。
一番安い宿だった。



















2015年9月23日水曜日

甲州街道


9月19日(土)


31

犬のをかしく戯れる
秋晴れの甲州街道は
遠く走り行く


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)



この詩も、昔から大好きだ。
甲州街道は軒庇の張り出した、ほこりだらけの街道であろう。

ああ、道はかならずや埃が立って、人は裾のほこりを気にしながら歩いたのだろう。
宿屋に入ると必ず足洗桶があったのだろう。


10時に、わざわざ「山中さんを支援する会」の通信に載せる原稿を、持参してくださった。感謝だ。
妻の焼いた甲州のブドウのケーキを供した。話に花が咲いた。

かえりに、コブシの実と、白山吹の実と、スダチを差し上げた。ご夫婦ともに嬉しそうに帰られた。
ありがたいことである。

「山中さんを支援する会」の原稿依頼の手紙を二通書く。宅急便で送る。
きれいだった
明日の旅行のために、準備をした。












とちの実


9月18日(金)

30

春には
うの花が咲き
秋には
とちの実の落ちる庭
池の流れに
小さい水車(みずぐるま)のまはる庭
何人も住まず
せきれいの住む
古木の梅は遂に咲かず
苔の深く落ちくぼみ
永劫のさびれにしめる


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」より)


「せきれいの住む」が、好きだ。とちの実を、おととい、拾った。お見せしよう。

 
 ある市会議員さんに山中さんへの支援メッセージのお願いの電話をした。快く引き受けていただく。
ありがたいことだ。

 孫の誕生日なので、ほんのプレゼントをしようと、本屋さんに行く。トーマスの辞典を買おうと思ったが、持っているか尋ねた。持っているとのこと。
チェコのイラストレーターの書いた、MAPSという本を買った。

 持っていったら、孫の母親が、つまり息子の嫁さんが大喜びだった。孫は、きれいな包装を嬉しそうにビリビリ破っただけだった。まあいいかと思った。


栃の実、立山の美女平から弥陀ヶ原に行く途中で・・・



蒼白なるもの


9月17日(木)

29

蒼白なるもの
セザンの林檎
蛇の腹
永劫の時間
捨てられた楽園に残る
かけた皿


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」より)


 「セザン」は、画家のセザンヌ。そのリンゴの蒼い絵を思い出す。蛇の腹もあおい。「永劫」、えいごう、その言葉を思う。永劫、いい言葉だ。

 廃園に残る、かけた皿ほど、人生の過ぎ去った時間を感じられるものはない。


朝、9時半から、歯医者さん。雨の中。そして、仕事。

 「山中さんを支援する会」の原稿依頼に仕事帰りにある人訪ねる。原稿依頼の仲立ちをお願いする。快諾いただく。ありがたいことである。

2時に帰る。さっその二人の方に手紙を書く。かなり緊張する。

ニラの花咲く

                       
                                    散歩途中、彼岸花が咲いていた




手紙を書くのは好きである。どうやってその人の胸襟に入って共感してもらえるか、考える。

  




2015年9月16日水曜日

ヒョウ(豹)


28

学問もやれず
絵もかけず
鎌倉の奥
釈迦堂の坂道を歩く
淋しい夏を過ごした
あの岩のトンネルの中で
石地蔵の頭をひろつたり
草をつんだり
トンネルの近くで
下から
ウナギを追つて来た二人の男に
あったこんな山の上で


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)




 夏を過ごした、とあるが、こんな過ごし方もいい。なんにもない静かな避暑生活、なかなかいい。

 山の上まで「ウナギを追って来た二人の男」、なんと素晴らしいおっさん。
私たちの隣の隣の関町にたくさんのウナギ屋さんがある、海から離れた山の町だが、この詩を思い出して納得した。

午前は仕事。朝30分歩く。昨夜はザーッと雨が降った。お昼過ぎから雨が降り出した。種にはいい雨だ。


ヒョウ君









「山中さんを支援する会」のHPの表紙に載せる写真にうちのネコ、ヒョウ君の写真を載せてもらった。

これが、我が家の豹です。











おとといの夕焼け空です



土の淋しき

9月15日のBlogです。昨夜は寝てしまったので。

26

菫は
心の影か
土の淋しき

けいとう

27

古のちぎり
けいとうの花に
雨が降る頃
いくつかの古庭をすぎ
くさりかけた寺の門をくぐって
都に近づいた



 菫は、もしかして大地の精のあらわれかも。土も淋しい。いつも思うのだが、
アスファルトにおおわれた大地は淋しい。ときどき現れた土に淋しさを感じる。
私たちの人生よりはるかに長い存在の土など、やはり最大の淋しさかもしれない。
人がいくら掘り返し、塗りこめても、そして削り崩しても、土は黙ってされるまま、けれど、大雨に洗われたら、
土の存在を感じる。大いなるものは淋しい。


御在所岳
むくげ?
朝早くから、仕事の準備。

 仕事の帰りに四日市で買い物をするよう頼まれ、一人でスーパーで買い物をする。中華料理の調味料のウエイパーというのがどうしても見つからない。むつかしい。

 帰って、40分散歩した。四時から屋敷の畑に小蕪・ほうれん草・春菊・総太り大根・菜花・スナップえんどうを蒔く。今夜から雨が降るので、頑張った

 仕事からの帰りに「山中さんを支援する会」カンパのカレーの売り上げを、カレー屋さんに振り込んだ。
お金が払えるのは、ありがたいことだ、と思った。








2015年9月14日月曜日

フォンテンブロー

25

「通つてつてきた田舎道は大分
初秋の美で染まりかけ
非常に美しかつた
フォンテンブローで昼飯をたべたので
巴里に着いたのは午後になつた」
とある小説に出てゐるが、
死んだ友人にきかしたら
うれしがつて
何かうにやうにや云つたことだらうが


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」より)


私の好きな詩です。昔から秋になるとこの詩を読んで、「うにやうにや」という言葉を使うようになった。
「フォンテンブロー」にも行きたいと思って、パリに行ったときメトロに乘ったが、間違えてヴァンセンヌの森に行ってしまった。

夜、近所の知り合いと収穫祭をやった。農家のおじさんと看護師さん夫婦と私たち。
朝から10時半まで、ジャガイモを植えた。種イモをくれると山中君が云ったので、7時から単車で亀山の畑まで取りに行った。それを植えた。

そのあと、収穫祭の御馳走の食材を買いに、スーパーぎゅーとらまで買いに行った。帰って、山中裁判の傍聴参加頂く方3人にハガキを書いた。

支援カンパのカレーを発送した。なんと2万円購入いただいた。ありがいたことだ。

夜の献立
たこのわさび入り天ぷら・串カツ・水菜と昆布のサラダ・マーボ茄子・野菜天ぷら・お刺身盛り合わせ・赤飯・手作りチーズタルト・ミックスピザ  以上。 飲み物はレミーマルタンまで出た。 おいしかった。

隣組の出合い


実は、これは昨日、9月13日(日曜)のBlogです



23

あの頃桜狩りに
荒川の上流に舟を浮べ
モーパッサンを読む
夕陽に葦の間に浮かぶ
下駄の淋しき


24

三寸程の土のパイプをくはへた
どら声の抒情詩人
「夕暮のような宝石」
と云ってラムネの玉を女にくれた


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」より)


嗚呼、下駄は懐かしい。昔は確かに、川に下駄が浮かんでいた。妙にリアリティがあった。
そして「ラムネの玉」もなつかしい。
ああ、なににでも人間存在の淋しさを感じられるものだ。

今日は、秋の日差しに懐かしさを感じた。秋の夕方の風の中を、40分エイエイと歩いた。
彼岸花が咲いていた。



午前8時から、組の庚申塚の草刈り。草刈り機を借りに行ったり、混合油を買ったり、なかなか忙しかった。
今年は組長さんだから仕方ない。地区の草刈り機を水で洗って、ライスセンターに返したら11時。

一時間さつき温泉に行き、疲れをとる。

手紙を書く。「山中さんを支援する会」の広報をしてくださる人を紹介してくださいという手紙。

午後は、わがPCからHPに入ることができ、立派な出来に感心した。

そのあと、HPのモニターをしてくださる方にお会いしに行った。快く引き受けてくださった。感謝だ。



2015年9月12日土曜日

遠い町に

19

桜の夜は明けて
にはとりの鳴く
旅立つ人の泣く


20

藪に花が咲く頃
心はくもる


21

昔の日
野ばらのついた皿
廃園の昼食
黒いてぶくろ
マラルメの春の歌
草の葉先に浮く
白玉の思い出
無限の情



 今日は、遠い町まで人に会いに行った。多くのことを親切に教えてくださるから。
なんと思いを同じにしてくれる人か。

 これはすべて、「山中さんを支援する会」の活動のこれからについて教えていただくためだ。人は動けば必ず何かを得ることができるものだと思う。

 夜の6時に帰る。7時からは町の組の組長会だ。今日も多くの方にいろんなことを教わった。感謝だ。

 山中さんの裁判の判決日には、遠くからですが傍聴に行きますとおっしゃるかたの話を聞いた。
宇都宮の方だ。遠くから本当にありがたいと思った

郵便局に行っただけ

昨日の一日を報告いたします。
実は、昨日はBlogを書けませんでした。それで、今日書きます。

14

暮れるともなく暮れる
心の春


15

行く道のかすかなる
鶯の音


16 

ひすいの情念
女の世のかすむ


17

珊瑚の玉に
秋の日の暮れる


18

白妙の唐衣きる松が枝に
ヒヨドリの鳴く夜は淋し

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


 西脇順三郎の詩は、こうやって連続して読むのが大切な気がする。
珊瑚樹の赤い実も秋を感じる。
今日はもう曼珠沙華を見た。明日は写真を撮ろう。

 この日、昨日は朝から郵便局に行って、皆さんからいただいたカンパを通帳に入れてきた。
 カレーの注文を受けた方に、ヤマトから送った。お礼のハガキを二通書いた。
 お昼寝をしている間に妻が仕事に出ていく車の音で目が覚めた。
 そのあとは、HPに載せる文章を書いたが、書けば書くほど長く長くなっていく。
 途中で40分の散歩に出た。気持ちよかった。
 たくさんの方から便りをいただいた。それをファイルに収め整理した。

 夜は、山中さんの裁判の判決日に来てくださる方の予想をした。











2015年9月10日木曜日

タイフーン



9月9日


12

浮草に
花咲く晩
舟をうかべて
眺(み)る月の曇る


浮草に花が咲く、というのがいい。あまり水面の浮草に目を止めることがないから。

 でも、この人は月見の小舟に乗っているのか、優雅だ。いつの間にか月が曇ったのか。
今年、お月見をさりげなく楽しもうと思う。

 朝、電話があり、今日の夕方、「山中保一さんを支援する会」の通信に寄稿をお願いする約束をしていた方が、台風のため午前の仕事が午後になったので、明日会いましょうという電話だった。
あしたうかがうといいました。
ありがたいと思います。

 今日は、5人の方からお手紙やカンパをいただいた。なんとありがたいことか。その方たちのためにも頑張ろうと思った。

今日は、私も台風のために仕事がなくなった。
久しぶりに丸善に行って一時間立ち読みしてきた。立ち読みもたまにはいい。
「四国遍禮道指南(しこくへんろみちしるべ)」を買った。江戸時代の、四国のお遍路のガイドブックです。

台風一過とはいかなかったのか、夜になって、また雨になってきた。


木の実はなんでしょう?

実は、

コブシの実なのです

今年は、早くから実をつけています。






このCDはモーツアルトのピアノとバイオリンのためのソナタ

うれしい、ワクワクのソナタ

毎日聴いている






久しぶり

13

梨の花の散る時分
松の枝を分けながら
山寺の坊主のところへ遊びに行く
都に住める女のもとに行って留守
寺男から甘酒をもらって飲んだ
淋しきものは我が身なりけり

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


「都に住める女のもとに行って」というのがいい。伊勢物語風だ。


 朝から、一生懸命手紙書く。「山中保一さんを支援する会」の通信に寄稿してくださる方が、山中さんのいろんな業績や活動実績を教えてくれとの手紙をもらったからだ。
ありがたいことだ。

 続いて仕事に行く。午前で終わり、妻とチャーハン大盛とチャーシューメンを食べる。いつもの店で。ご主人が高倉健に似ていると我々の間では評判である。

 帰りに山の店に寄った。妻の山靴がきついので少し伸ばしてもらうため。

そこで10年ぶりに昔の教え子に会った。
彼もまだ山に登っているらしい。10歳の子供と登っているという。

その友人のもう一人の教え子にも連絡をしてくれて、彼とも7年ぶりに電話で話した。
とある銀行の支店長をしているという。彼は世界の七大陸の最高峰に登った男だ。

こんなうれしい日もある。

そのあと、支援する会のHPの打ち合わせに行き、そのあとまた原稿依頼に行って、快諾いただいた。

ありがたいことだ。いい出会い一日だった。




2015年9月8日火曜日

タイフーン前夜

11

ばらといふ字はどうしても
覚えられない書くたびに
字引をひく哀れなる
夜明けに悲しき首を出す
窓の淋しき



バラというじは「薔薇」ですが、書くのはむつかしい字です。

手紙などを書くのでしょうか、そのとき字引をひくという行為自体、なんだか尊いものという気がします。

今じゃなんだかみんなスマホをもって指でなぞっている、変な光景ばっかり。
鉛筆をなめなめ紙に字を書くのが珍しい光景になった、けったいな国日本。

字を書くのは、引っ掻くこと。紙にも、粘土にも、板切れにも、みんな引っ掻いていたのでしょう。
こうして書いているのも、PCなのですが、普段私は広告の裏に鉛筆で昔の名文を書いています。

わからない字が出てきたら、やおら体を起こして、字引を取り出して引いてみよう。そして丁寧に書いてみよう。

夜明けに窓から首を出す。ああ、なんでもないこと、なんでもない行為のなんておかしなこと。
なんでもないことにこそ、人間の存在があり、生活がある、そしておかしみがある。西脇の詩は、僕はそこらへんが面白くて、長年読んでいます。



今日は、作ったメール便をクロネコヤマトもっていった。受け取ってもらえた。明日には届くだろう。受け取った人は喜んでくれるだろう。

午前中は、午後の仕事の準備をした。午後の仕事に行く。帰宅4時。一時間昼寝。サッカーアフガニスタン戦を見る。6-0で勝利。

今朝、山中さんからメールが入っていた。
朝、久しぶりに、かつて山中さんのために校長解任撤回の署名を集めるなどの支援をしてくれた方が訪ねてこられたらしい。
その方は、カンパと文章をくださったという。

その文章を見せてもらった。
本当に力強い文章で、山中さんの人間性と真実を語っておられた。次回の通信で掲載します。

台風18号が三重県直撃の予報。たいしたこと無ければよいが・・・・・。

なつかしい午後

10

十二月の末頃
落葉の林にさまよふ
枯れ枝には既にいろいろの形や色どりの
葉の蕾が出てゐる
これは都の人の知らないもの
枯木にからむつる草に
億万年の思ひが結ぶ
数知れぬ実がなってゐる
人の生命より古い種子が埋もれてゐる
人の感じ得る最大な美しさ
淋しさがこの小さい実の中に
うるみひそむ
かすかにふるへてゐる
このふるへてゐる詩が
本当の詩であるか
この実こそ詩であらう
王城にひばり鳴く物語も詩でない

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


この秋の初めに冬の詩とはおかしなことだが、私の昔から好きな詩だ。
最大に詩というものを語ってゐる一節(説)なのだ。
西脇の詩論の象徴である。


9月7日。
8時まで寝ていた。うっとうしい天気。

「山中保一さんを支援する会」のカンパのカレーを送る技を発揮して、二人に送るため荷造りをした。
我ながら上手いと自賛した。

「支援の会」の「通信」でお願いした寄稿の方に手紙書いた。郵便局に行く。そのあとは午後からの来客の夕ご飯のための買い物だ。

雨が降る、時折晴れるので、お客様もあるので裏の堀(そう呼んでいるのだが実際は通路です)の草引きを二時間。きれいになった。庭の散らかったゴミを竹ぼうきで''掃いた。きれいになった

四時半ごろ、お客さん来る。
久しぶりにお会いしてご老体のお元気な様子に喜ぶ。その方は音楽の好きな方で、モーツワルトのピアノとバイオリンのソナタのCDをくださった。素晴らしい演奏だからしばらく聞き詰めだ。

一緒に夕食。アスパラガスサラダ。ピザ。アサリパスタ。天ぷら茄子とオクラと厚揚げの煮物。素晴らしくごちゃまぜの手作りディナー。おいしかった。

2015年9月6日日曜日

再び、雨



あのささやき
密の巣の暗き
女の世の
なげかはしき



十二月になってしまった
名越の山々の
麓を曲がる小路に
はみ出た蒼白な岩かどに
海しだの墨色のみどり
ふるへる
たんぽぽの蕾
あざみの蕾
砂に埋れ
小さい赤い実を僅かにつけた
やぶかうじの根
岩と落葉の中にふるへる
この山々の静けさ
早く暮れる日影を拝む

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)



ああなんと、詩は冬の季節になってしまった。今日は、秋霖。秋の長雨。秋のながめ。秋の雨を見ていると、
なんだか物憂いもの。

昨日蒔いた種が畝から流れてしまうのではないかという雨。
みんなが、均しく雨に振り込められるのだから、自然は私たちより偉大だ。

季節は秋。昨日お見せできなかったので今日は、ゆうべ食べた里芋の子芋を写真にして載せました。とてもおいしい。

 今日は、「山中保一さんを支援する会」の「通信」に載せる原稿を書いてもらうために、元鈴鹿市幹部職員の方を訪ねて、原稿の寄稿をお願いして快諾を得ました。ありがたいことだと思いました。

 お昼は、カップ牛蒡天ぷらそば、ごはん、たらこ。一人で食べた。


 午後は、また原稿依頼に、鈴鹿市市会議員の方を訪ねて、これも快諾を得ました。よかった。

 かえってから、PCを山中さんにウインドウ7から10に変えてもらった。なんだかテキパキ仕事をするパソコンになってうれしかった。

 
 みなさんに、先週8月28日に行った上高地の写真を載せます。ご覧ください。

 その日は、10時には河童橋はまっ晴れでした。岳沢を眺めながらお昼のパーティー。それから、写真好きの同行者の方のお好きなように梓川や明神を撮ってもらって、明神小屋から嘉門次小屋へ。
 
 雨ポツリポツリ。岳沢の流れ込みのあたりで一面の山水画の世界。六百山が幾重にも霞んで素晴らしかったです。西糸屋に泊まって、おしゃべりに花が咲きました。

 翌日は、チェックアウトまでゴロゴロ。タクシーで大正池。湖畔で焼岳とにらめっこ。
流れる雲の合間から山頂が見えるように念力を飛ばしたけれど、効験あらたかならず、断念して平湯に降りて、平湯の森の全露天風呂を制覇して帰ってきました。

夕ご飯は、鰆のピカタ。うどん。残り夏野菜田楽。


西穂高岳連嶺
明神岳五峰