2015年9月25日金曜日

淋しく感ずるが故に我あり


とある旧家を訪ねる
9月22日(火・祝)

39

九月の始め
街道の岩片(かけ)から
青いどんぐりのさがる

窓の淋しき
中から人の声がする
人間の話す音の淋しき
「だんな このたびは金毘羅参り
に出かけるてえことだが
これはつまんねーものだがせんべつだ
とつてくんねー」


ああ、なんと高い天井
「もはや詩が書けない
詩のないところに詩がある
うつつの断片のみ詩となる
うつつは淋しい
淋しく感ずるが故に我あり
淋しみは存在の根本
淋しみは美の本願なり
美は永劫の象徴」



けやきの縁。感動した。


西脇順三郎詩集「旅人かへらず」の
詩の本質が、ずばり、詩の中で語られている。

「だんな・・・せんべつだとってくんねー」

なんというおもしろい言葉!

だけど、うちの近所の百姓のおっさんは
みんな元気にこんな言葉しゃべっているが、あれこそ詩なんだ。



 安倍首相の言葉のどこを探しても詩はない。
百姓のおっさんのほうが数等格が上。

                政治の言葉ほど詩にほど遠いものはない。

「詩のないところに詩がある」

「淋しく感ずるが故に我あり」





 この日は、このような旧家を訪ね、長い人の営みの時間の長さ、
永劫を感じた。



 途中福井によって、旧知を訪ねる。
私の行っている「山中さんを支援する会」の活動について話をする。

 帰り道、電話が入って、「山中さんを支援する会」の通信のことで問題が発生したと聞かされる。

旅の余韻が吹っ飛んで、いよいよまた支援の会の用事をしようという気になった。

 帰ったら、これも大学時代からの友人が、二時間前から待っていたと、庭の柿をもいで、柿を食べていた。その日は泊まりに来るということになっていたが、早くからきてくつろいでいたのだ。

蚊取り線香を焚いて、「蚊が多いなあ、ここは。」と言っていた。
何か間違っているのではないかと思った。

夕食:氷見で買ったタラでタラ鍋。カマスの塩焼き。







0 件のコメント:

コメントを投稿