3
自然の世のさみしき
睡眠のさみしき
(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」より)
「自然」というものは、人の気持ちの時々によっては、いろいろな印象を与えるという気がする。
その、いろいろな印象の代表が、さみしさ、と考えたら、この一行の意味がわかる気がする。
「睡眠」のさみしき、というのも可笑しい。
みんな夜になると寝ているというのも、考えてみたら可笑しい。そして、可憐でけなげな気がする。大親分も、下っ端のあんちゃんも寝ている。猫も犬も、ゲリラも、王様も、夜になると眠る、そう考えると、おかしい気がする。
つまり、誰もが感じるおかしさは、「さみしき」ことだ。可笑しさは、ちっぽけさであり、ちっぽけさは、さみしさだ。ちっぽけな人間は、「さみしき」存在なのだ。
今日は、仕事始めだった。夏の間鈍っていた頭に血がめぐりだした気がした。なんとか終わる。
その後歯医者さんに行った。順調に回復している。こんどは二週間後。
「山中さんを支援する会」の「通信」が届いたといって、メールで連絡してくれる人がいる。
鈴鹿高校の関係者だった方だ。3年前、山中さんを校長解任したことは、とんでもない悪質な行為だと、その方は断定しておられた。
当時の学園の雰囲気を知る私も、校長解任したことは、山中さんを排除して自分たちの利得を守ろうとした理事連中の所業だと思う。
夜は、冷やしとろろ素麺とあっさりマーボ豆腐とビール。
11時からフランス映画「タンゴ リベルタ」を観て、おもしろかった。フランス映画は人生を感じさせるものが多いので観ていてうれしい。
夕べ映画を観ていたのでこのブログを書けなかったので4日の今頃書いている。
0 件のコメント:
コメントを投稿