10月19日(月)のこと
秋は、季節は、私たちを置いて移り行く |
しかし、この19日のことは書けませんでした。
大学時代の親友が亡くなった一報が、奥さんから入り、
その夜は、布団の中で大学時代の彼の横顔や笑顔や、髪をかき上げるそぶりなど、ずーっと瞼に浮かんできて、一晩中彼と付き合いました。
昨日、実は、このことを書くことができませんでした。
身内の死も悲しいが、友人の死もまた違って悲しいです。
ブナ清水のブナたち、再見! |
余り些細なことにこだわらず、いつも笑っていました。寡黙で、ドストエフスキーを読んでいました。その研究会もしていました。苦学生で、下宿代が高いと言って、新聞配達をして住み込んで、そこで勉強していました。
熊本に帰って、県の職員になられた後、県立高校の国語の先生をして、少し早く退職をして、奥さんの塾を手伝い、暮らしていました。
私がここ2年、山中さんを支援する会の活動をしているのを、いつも支援してくれました。理義が通じなくなったら終わりだ、と彼はいつも言っていました。
鈴鹿高校の山中校長先生を、卒業式の数日前に解任して、その後学校から排除して、あまつさえ、その後からいろんな理由をつけて懲戒解雇までしてしまう、同校享栄学園理事長以下理事会の仕打ちに、彼は、「許せない」と言いました。
君がこの世で見た黄葉はどんなだった?知りたいよ。 |
遠い九州から支援をしてくれました。
彼と別れて40年、いつも伊勢に遊びに来いと言って、40年。
ここ3年、山中さんの支援活動で電話で話することが増えて、うれしかった。
今年に入って入院しているとカンパの振込用紙に書いてあった。
電話したら、闘病の日々に入ったと、奥様から聞いた。
私は行った先の絵ハガキをたびたび送りました。それくらいしかできなかった。会いに行きたかったが、できなかった。
行っても、会うのが失礼な気もして、躊躇した。
入院中は無菌室に入って治療をされていたらしい。時々帰宅を許されたとき、私が送った、四日市の水沢のほうじ茶がおいしいおいしいと、たどたどしい字でハガキに書いてきてくれたのが、最後の書簡だった。
今日は、午前中仕事して、1時から朝明渓谷へ車で走った。根の平峠に向かって登り、手前から伊勢谷に入って、ブナ清水という、滾々(こんこん)と湧き出る清水を飲みに行った。
いい水だ。山の斜面の大石の下から湧き出しているのだ。
2リットル汲んで、家のお土産にした。
今日は、この水で最高のお茶を淹(い)れ、フォーレのレクイエムを聴いて、彼を偲ぼう。
どこにいっても一人でもパーティー |
逝った人を偲ぼう。
昨日東京の知人からいただいた焼酎が熊本は球磨川の「六調子」だったから、それも飲んで、彼を偲ぼう。
山を歩きながら、彼の笑顔をずっと思い、知ってる歌をみんな歌った。
誰の仕業か?神のいたずら |
へたな歌聞かれて下る秋の山
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