2015年11月23日月曜日

テロから10日

17日教会ケーキ用卵144個なぜか机上に
113

あかのまんまの咲いてゐる
どろ路にふみ迷ふ
新しい神曲の初め

114


妻、うちの烏瓜でリース作る
くぬぎの葉二三枚
昔の恋人の幽霊
昔の光芒

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 先々週、金曜日、「今日は13日の金曜日」とつぶやいたが、
BSでニュースを見てゐたら、パリのテロの映像を見た。ほんとに最悪の金曜日になった。
 あれから、10日間、何にもする気になれなかった。
人間がなしうる悪は際限がない。こんなに人間が成り下がってしまっていいのか。

 私は、かつて孫に地震の時はこのテーブルの下にこんなにもぐるんだよ、と言ったとたんに、ほんとの地震が来たことがある。自分が気味悪くなった、これが二回目である。

ようやく元気になった。これからもブログを続けようと思う。
畑の日野菜収穫のおじさんに分けてもらう、漬物漬ける


よく晴れて夕方飛行機雲
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ついに今年もサンタさん倉庫から出す。うれしそうである。

2015年11月14日土曜日

11月13日(金ようび)のこと


112
葉が落ち、て実が残り、実は春を待つ

とき色の幻影
山のあざみに映る
永劫の流れ行く
透影(すきかげ)の淋しき
人のうつつ
あまりにはるかなる
この山影に
この土のふくらみに
ゆらぐ色

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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「とき色」 トキの翼の裏と風切り羽との色。薄桃色。

「透き影」 隙間から見える影。
       暗いところから明るい方を透かして見た時にみえる姿。

「幻影」であったり「うつつ(現実)」であったり、人の世の人の営みは、土のふくらみやあざみや山影にくらべても、どうも値打ちがないとかはかないとか、たいしたものではないらしい、そんな気のする詩だと思う。

早くもボケの花が・・・

野原には逆に人の情念のようなものが宿っている気もする。

人は、昔、幼い時におののいたような風の音や薄のおいでおいでなどに時々は触れてみるのが大切なような気がする。

野原をアスファルトで固めて人間が闊歩するようでは民度が下がる一方だ。
野原を歩かなくてはいけません。

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今日、畑の中を歩いた。曇り空。さつきの苗木の植わった畑の中、縦横に歩いた。イチゴの苗を植えている人がいた。溝の落葉をさらっている人。枯草を焼く人。皆それぞれに、土になじんでいる。
すばらしいことだと思った。

かくも巨大な・・、黄熟を待つ





2015年11月11日水曜日

往復ハガキに注意!

11月10日のこと
教会

111

橡(つるばみ)に
女(ひと)のひそむ
美しさ
その粉の苦(にが)き
人間の罪をあがなふ
はりつけの情念の苦さ

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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「つるばみ」とは、どんぐりのこと。または、どんぐりを煮て、その汁で染めた濃い鼠色。「橡」とは、「とち」のこと。

「あがなふ(贖う)」は、相応の代償を払って、罪や失敗を償う(本来の望ましい状態を獲得する)こと。

「贖罪(しょくざい)」とは、(神への罪から救うために)キリストが、全人類に代わって十字架にかかって死んだこと。

つるばみの布に秘めた女の情念の美しさ、か?
男ではそうはいかない・・・。

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 朝から、鈴鹿市の「男女共同参画施設」という、ちょっと怖そうな名の施設に、妻と往復ハガキの印刷をしに行った。その前には、郵便局の本局で往復はがきの追加分を60枚買って、それから、その施設に朝いちばんの9時に行って、あっという間に輪転機で印刷ができてうれしかった。

豹(ネコの名前)の墓
 「山中さんを支援する会」の、12・10の判決に傍聴参加していただく依頼文を書いた、返信用ハガキである。

 そのあと、郵便局に出しに行ったら、受付のお姉ちゃんが、「往復はがきはそっちで折りたたんで出してもらうことになっています。」と、怒って言った。

 私は、「どこにそんなこと書いてあるの、それなら返信はがきを売る時にちゃんと説明しなさい。」と言った。
そして、ハガキをせっせと折りたたんだ。

 折りたたんでいるときに、郵便局の職員のおっさんは、僕らの折りたたんでいる横で、年賀状売りのお姉ちゃんと朝の楽しい談笑をしていて、腹が立った。
民間のお店なら、手伝わなくっても、大変ですね、くらい声をかけるだろうに・・・

 こんど返信用ハガキを送る時には、ドカンとポストに投函してやろうと決めた。 



日本郵政は、お上のお役人会社である。

間引いた大根でたくあんを作るのだ。干しています。

2015年11月9日月曜日

垂れ込めても心は地中海


110
エンドウ芽を出す

八月の末頃
海からあがり
或る町を歩いた
プラタヌスの葉が
黄色く街路に落ちてゐた
旅役者がカフェの椅子に
よりかかって何も註文もせず
休んでゐた
裏通りを歩いてみると
流行しだした模様入りのハンカチフを
売つてゐた
チャップリンがかかつてゐた
仏蘭西で字初めて仏蘭西語の小説を買つた
坂をのぼって行くと
海がうすみどりに光つてゐる
のぼりきつたところに
カンナの花の咲いてゐる家がある
はいつてみると
としまの女がだまつて
メーテルリンクの「蜜蜂の巣の精神」とか
いふ本を読んでゐた
何かまちがつてゐるのではなかつたか
時間がなかつたので
馬車に乗つて帰つた
ヴィーナスの頭のついた古銭を
くれる約束した若いギリシャ人が
舎利の壺に罌麦(なでしこ)をたてたやうな
顔をして笑つた

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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なんとすだちのあめにぬれつつ
この詩、いつもいつも嫋々と小生の感性(あるとすれば)に流れているものです、憧れに似たものですが・・・。
簡素で、本質だけで、余計なもののない・・・、詩的なものとはそんなものじゃないのかなあ。

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玉ねぎの苗を植える。

「山中保一さんを支援する会」として、判決の12月10に傍聴に来てくださるよう依頼の往復はがきを作った。明日投函しよう。

7年前に四国をお遍路して歩いていた時にお出合いした方から、メールが来た。
なんとユズまで雨に洗われて
山中保一さんの支援のカレーを注文してくださったのだ。
その方は裸一貫でご自分の会社を創設して、経営は後進に譲り、今や豊かな富山湾を育てる会の会長さんだ。




今年9月に久しぶりにお会いして、私の、山中さんの裁判支援の活動の話を聞いてくださり、
お渡しした資料を翌日一日ですべて読んでくださって、
「北川さんもあほですなー」と言ってくださった方だ。
「ほんまにおれはあほやなあー」と思った。
しかし、その方も「私もあほですからー」わっはっはとお笑いになった。

その方は、今も、三つのNPOを主宰し、富山湾の研究をしておられ、海にさかなのすみかになる藻の種を播いておられる、藻咲かせ爺さんである。
楚々として白さざんかのあめにぬれ
ヨガに講演に講師にと、活動の75才である。

ちなみに、四国お遍路を歩いて7回まわられた方である。
「大愚」というに近いお方である。

世の中には偉い人はいっぱいおられるのだ。








2015年11月8日日曜日

快癒か?

蔓梅擬(つるうめもどき)

109

ゐろりに
アカシヤの木をたいてゐた
老人の忘らるるとは

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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「忘らるる」ことがこうして語られるのなら、そんな忘れられ方が一番いいのかもしれない。こんな思い出され方はいいかも・・・。

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早くこんな健康を取り戻したいのだ

ついに、もう一日、腹部の失調は続いた。膨満感があった。

思うことを言わないのは「腹ふくれるることなり」と、「大鏡」かにあったが・・・、

小生、自分でも知らないところで、周りに遠慮して思ったことを言えない性質なのかもしれないと思ったりしたが、結論は出なかった。

下卑た話だが、おつうじがないのだ。繊維質は十分にとっているのだが・・・。

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今日、11月8日、「山中さんを支援する会」の皆さんに出すハガキの原稿を作った。
延期になった判決日に、再度傍聴参加してもらうためのハガキだ。
100人以上の人に来てもらう予定だが、もっと人を増やしたいのだ。





終日活動し過ぎだった


烏瓜、今年もありがとう
 11月4日のこと

107

なでしこの花の模様のついた
のれんの下から見える
庭の石
庭下駄のくづがへる
何人もゐない
何事かある

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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「のれん」というのは、なかなか思わせぶりなものだ。
漢字で書いても、「暖簾」だから、あったかいすだれなのだが、
この詩のように、目隠しの暖簾の下から向こうが見えるのも、
思わせぶりで、かえってリアルなのだ。

この暖簾の外から、暖簾の中の家の中を見ているのだろう。
中庭には、家人の人生が一番あらわになるのだろう。
建築を見ると、そこにある人生が実に物悲しくなる。
人よりもより人を表すのが建物かもしれない。

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東の畑

この日は、たくさん動いた、そのおかげで少し体調をくずしたのだから、あとで、ため込んだ日記で反省するのもいいのかもしれない。

朝から、庭の掃除して、垣根に絡みついた烏瓜を眺めた。

その後、昨日植えた玉ねぎに水やりに行く。エンドウにもソラマメにも。タンクで水を運ぶのだ。

そして仕事。半日だけ。その後、山に向かう。小さな山に登る。
眺望は素晴らしい。紅葉を楽しむ。
一日中、動いた。



紅葉を見つける
仰ぎ見る


                         
引き寄せる

本草学


11月5日のこと

108

むくの実が坂に降る頃
根を煎じて服用したいと思った
ゴブラン織りをあけて
かなしげなる窓を開いて
ぼけた遠山の方へ飛ぶ水鳥
渡し守の煙草を吸ふのを
眺めてゐると
昔読んだ小説の人々が生霊
の如くやつてくる
一緒になりまた別れる
悪霊を避けよ
苦しき立場
レモン畑
かみそりの歯
猿女房
と次から次へとやつてくる
その辺にゐる本当の人間の方
が幽霊に見える

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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最近は、この詩のように、「本当の人間の方が幽霊に見える」ことが、
確かにあるのだ。

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この実も頻尿に効きそうだった

朝から一日仕事。帰りに腹が痛みだす。帰って苦しむ。静かになる。
白湯が一番と思うようになる。ごはんはおかゆに代わる。
お腹痛となんだか尿道に痛み。言葉少なに、横臥。
「悪霊」に魅入られたようになる。
何かの祟りかもしれない、加持祈祷も効かない、最悪の状態である。
京都に住むS先輩の頻尿を少し憐れんでいたのだが、自分にも来たと
天罰を感じて休んだ。
花を食べたくなった

2015年11月3日火曜日

詩人 吉田一穂

106

さびれゆく穀物の上
哀れなるはりつけの男
ゴッホの自画像の麦わら帽子に
青いシャツを着て
吊られさがるエッケホモー
生命の暮色が
つきさされてゐる
ここに人間は何ものかを
言はんとしてゐる


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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 朝から東の畑の畝を整える。昨日買った玉ねぎ苗を植える。
そらまめも種をまく。残りの大根の種もまく。スナップエンドウもまく。

 午後は仕事の準備に4時間没頭する。

 夕方、蒔いた種を雉などの鳥に啄まれないために、脅しの糸を張りに行く。
 
 江戸時代ここは伊勢神戸(かんべ)藩の殿様の狩り場だったので、
雉が多いのももっともだ。

 「山中さんを支援する会」の、判決までの活動を考えた。
実効ある活動をしたい、と考え続けた。いろんなことをしようと思う。
やるしかない。

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                  秋
                      吉田一穂(「故園の書」より)

楚々として秋は来た。
物自体(デング・アン・ジッヒ)のきびしい認識を超えて、人を清澄なパンセにまでひきいれる像(もの)の陰影の深まさる時ーー汗と土と藁の匂い、収穫の穀物倉の簷(ひさし)に雀の巣が殖えていた。
納屋の隅でコオロギが鳴く。
空のヴァガボン渡り鳥の群れは、切り株畑に影をおとして再び地平の秋を旅立っていった。
霧の中で角笛が鳴っている。
放牧の群れが帰ってくる。
私は蘆のうら枯れた沼の辺りに下り立って、鼠色の湖心に移動する野鴨を銃口の先で焦点する。
空は北方から雲翳をみだしてくる。
草は北海の塩分を吹き送る東南風に萎れ、北風に苛だち、西風に雨を感知して、日に日に地表はむくつけき麤(あら)い容貌と変わってくる。父の如く厳つい自然よ、そして母の如くも優しく美しい季節よ!
いまだ火のない暖炉の中からコオロギの細い寂しい歌が聞こえてくる。明かりが机の上に暈(かさ)を投げる。
天蓋に銀河が冴えて横たはる。
プレアデスやアンドロメダ、天馬の壮麗なシステムが一糸みだれず夜々の天に秋の祝祭の燈をかかげる。


毎年、この時期には「秋」を読む。吉田一穂はほとんど知られない詩人であるが、私にとっては、西脇順三郎と双璧である。





玉ねぎ苗

11月2日のこと

104

木の間がくれの遠い嶺
八月の末にはもう
すすきの穂が山々に
銀髪をくしけずる
岩間から黄金にまがる
女郎花(おみなえし)我が国土の道しるべ
故郷に旅人は急ぐ


105

虫の鳴く声
平原にみなぎる
星もなく夜もなき
生命のつなぎに急ぐ
この短い永劫の秋に
岩片にひとり立ちて
このつきせぬ野辺を
聴く心の悲しき

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午後は玉ねぎの苗を買う。
農家のおじさんが売りに来たので、すぐに買った。
実にいい苗で、中晩成の苗である。

人に教えてもらった、農家の直売所に行く。
新鮮な野菜や果物が豊富で、楽しかった。

夜は、山中さんが来た。パソコンの設定をしてもらった。
ありがたい。

2015年11月2日月曜日


102
うちの垣根の満天星(どうだん)つつじの紅葉・・どうだ!

草の実の
ころがる
水たまりに
うつる
枯れ茎のまがり
淋しき人の去る

103

庭の
蝉殻の
夏の夜の殻の朝
悲し

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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朝から一時まで仕事。
帰って、お昼ご飯。長崎皿うどん。

昼寝。3時から東の畑を耕しに行く。トラクターを軽トラに積んでいく。
耕すこと一時間半、明日の雨の前に肥料も置く。

里芋を掘る。孫に届ける。

かくて今日も暮れにけり。

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            砧(きぬた)

砧打ちて我にきかせよや坊が妻  芭蕉

寝よといふ寝覚めの夫(つま)や小夜砧  炭 太祇

ひとつ家のひとつ砧に月ひとつ  中 勘助





2015年11月1日日曜日

ザイショノコトガ気ニカカル

玄関
 10月31日のこと

101

水色のヒョウタンのさがる町
この郷人の細工
この三寸の象牙
はづかしい思ひで彫(きざ)む
裸の女は皆お湯にちなむ
しまだの女化粧道具を入れた
籠をさげる
この水鳥
この銭湯の曼陀羅

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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朝から植木鉢にパンジーなどを植えた。
写真の通り。

その後、台所と居間のガラス戸の敷居のガタピシを直した。
これで三日目の建具屋さんだ。
なんでも直してみせる、という意気込みでやった。


東の畑に草刈りに行った。

うちではブンブン丸と呼んでいるのだが、刈り払い機の先に、細いロープを二本つけて回転させて草を刈ってしまうのだが、小さな なよなよ草は、実によく刈れるのである。

それで、畝の草を刈った。





急いで昼食、チャーハンをきこしめした。

急いで9条の会の10周年記念会に講演を聞きに行った。
寒かった。日本の国情も寒かった。戦争ごっこもしたことない政治家がおっきなって戦争ごっこしようとしている。

寒かったのでお酒の量販店で、ビ(ール)とサ(ケ)とシ(ョウチュウ)とワ(イン)を買い込んで、コタツを立てて、全種類家庭試飲会をしてやすんだ。全種類イケた。

実にくだらないブログになった。

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だからおまけに漢詩を一つ、そしてそれを井伏鱒二の訳詩でどうぞ。



    静夜思

              李白

床前(しょうぜん)に月光を看る

疑うらくは是れ地上の霜かと

頭を挙げて山月を望み

頭を低(た)れて故郷を思う





静かなる夜の思い

部屋の真ん中の大きなベッドの前の敷瓦のところまで差し込んでくる月の光
それは地に置いた霜のようにきらきら光ってる
静かな夜の物思いにふける人は、頭をあげては山月を望み
頭を垂れては故郷を思っている



井伏鱒二「厄除け詩集より

      静夜思

ネマノウチカラフト気ガツケバ

霜カトオモフイイ月アカリ

ノキバノ月ヲミルニツケ

ザイショノコトガ気ニカカル

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井伏鱒二はやっぱりすばらしい作家である。






2015年10月30日金曜日

無為自然



98
西脇順三郎1933

梅雨にしめる
黒い石のひややかに
夏の夜明


99

ゴブラン織の淋しさ
ゴブラン織に織られた
裸の女の
淋しさ


100

垣根の
春の
淋しさ

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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「淋しさ」、なんでも淋しくなるらしい。「淋しさ」の連発だが、
「淋しさゆえに我存在す」といっていいくらい、この詩人にとっては、
あらゆるもののかそけき淋しさが、気になるのである。

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 昨日ガタピシを直した、台所と居間のガラス戸を電気サンダーで磨いた。 部屋が明るくなった。
 「山中さんを支援する会」の会計の中間決算をする
 カレー屋さんに電話。元気だった。よかった。
冬支度。
夕ごはん・カキフライ 
お土産の黄鮒最中と西脇順三郎全集



冬支度


97

風は庭をめぐり
黄色いまがった梨を
ゆすり
小さい窓からはいって
燈火を消すことがあった




(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)



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ああ、この詩を短冊に書いて柱に掛けておこう。





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 朝から、津地裁に行く。往きは、1時間5分かかった。
判決が12月10日になったのに、なぜ行ったのか?


答え

 もし津地裁が延期変更した判決日の連絡が伝わらなくて、今日、傍聴にみえる方がおられたら申し訳ないので、お詫びするために行ったのである。
はたして、幸いなことにお一人も来られなかったので、安堵して、家路についた。



 津地裁は、何事もなかったかのようにあって、玄関では、黒塗りの公用車に下吏が乗り込んでいた。


 
 そのあと、布団・カーペット干し、椅子の入れ替え、台所と居間のガラス障子をカンナで削ってガタピシを直した、草刈機を直す、郵便局から送金、倉庫に断熱材を敷き、クロネコで荷物発送。冬支度をした。

夕ご飯・すき焼き


2015年10月29日木曜日

小ゲラ


10月28日

96

春はまだ浅い
ようこそ、ゲラちゃん、再見!
山々はうす黄色く
松林が黒くぼけてゐる頃
石川先生と多摩の丘陵を歩く
谷に水車がまはってゐた
『文学や絵でかくと美しいが
あんな所で実際住めるものぢゃない』
とチーズを包んだ弁当をあけながら
さう云った
坂を下って畑の中をあるくころ
『わたしが木曽の山の中を歩いた時
山の中に家があったので
昼飯をやるに都合のよいところで
あると思ったので、その家を訪れた
誰も出て来ないから
かまはず障子を開けて畳の上で
ころがり休んだことがある
後から考えてみるとそれは村の
避病院であった』
と笑ひ顔して行った
路ばたで鶯が鳴いてゐた
『あの鶯の鳴き方はうちの八百屋の
小僧が自転車にのりながらまねする
鶯の声より下手だ』
不動も詣らず帰った
鶉(うずら)の鳴く日の如く淋しかった

(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)

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この石川先生は、可笑しい。鶯の鳴き方の話は、石川先生の真骨頂だ。何にでも、発見は可笑しい。

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午前中、仕事。帰って大根畑の土寄せ。



 今日は、我が家の庭の柿の木に、こゲラ三羽がやって来た。樹皮をつついて虫を取っていた。おまけにドラミングまでしてくれて、妻が喜んだ。
カメラを持ってきて撮った。上の写真がそれです。満足です。


 こゲラが帰ったころ、6人のお客があった。
山中さんの判決が、本当は29日だったので、すでに津市に宿泊の予約をした人が集まって、「山中さんを支援する会」の代表の私の家に、激励に来てくれたのだ、栃木・石川・福井から来た人もいた。
津地裁の判決延期がうらめしい、と言われた。
「支援の会、頑張って下さい」と言われた。

 
 Ma Fammeは畑でとれたあずきでぜんさいを作って饗してくれた。みなさんは、満足して帰られた。

こゲラが来てくれたのと同じくらいうれしかった。

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「棄てる👹あれば、拾う神あり」だ。       (答え・鬼)

2015年10月28日水曜日

理不尽

10月27日のこと
とある屋敷の紅葉でした

94

「失はれた浄土」は盲人の書いた地獄
へくそかずらの淡いとき色も
見えないただ
葡萄の蔓
ひゃうたん

がその庭の飾りで
ふるへてゐる


95

ロココの女
すきがあれば金をつめる
涙は薔薇と百合の間にこぼれる
心のくもりは宝石のくもり


(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


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94

「へくそかずら」は、悲しいほどかわいそうな名前だ。しかし、最初から開き直って、植物の人生を一番謳歌しているかもしれないから、天晴れな名前だ。へくそかずらは、けなげだ。

先日、岡山に行ったら車窓から、葡萄の棚が見えた。葡萄の蔓(つる)が風に揺れていた。収穫後の葡萄の蔓を見たのは初めてだった。

95
は金銀財宝に囲まれた人の、貧乏な人以上の悲哀を感じてしまう。
こんなつもりで西脇は書いたのだろうか。

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 午前中、「山中さんを支援する会」に寄せられた、一言メッセージを入力する。HPに載せるためだ。一人一人の思いが伝わってきて、感動する。とりあえず100人のメッセージを打ち込む。皆さんが、支援する会の「通信」を克明に読んでくださって、書いておられる。

 享栄学園の理事の連中の、何一つ大義のない、山中さん追い落としを、みなさん全員が、許せないと思っておられる。

 なぜ山中さんを排除しようとしたのだろうか。彼がいても、学校のために働いてくれるだけの存在なのに、なぜ卒業式の一週間前に校長解任したのだろうか。

 彼らには、生徒が山中校長先生から卒業証書を受け取ることさえ、許せなかったのだろうか。学校法人の理事のやることじゃない。

 とすると、山中さんを卒業式の一週間前にどうしても校長にしておけない理由があったのだろう。

 

 校長解任の理由は、文科省の委託研究事業に応募した鈴鹿高校の書類に、勝手に鈴鹿市教委の名前を使ったので、文書偽造の罪だということ。

 それに関して、鈴鹿市教育長から公文書による抗議を受けたからということ。

 

 以上二つが、校長解任の理由だと、理事長が学校で職員に説明しました。私も聞きました。

 そんなことで校長解任ってあるのかい?
私も卒業学年の担任をしていたのですが、じゃあ、誰が校長になるの?卒業式は誰が卒業許可を言い渡すの?
第一、生徒になんと説明するんじゃー?!誰か説明せい!
お前ら生徒のはれの卒業式を台無しにするんかー!?

と、質問したけど管理職はなんにも答えなかった。


 ほんまに、あほちゃうかーっと思いましたね。

 もうひとつ、あほかいな、っていうことがあるんです。
理事会の言った校長解任理由二つは、すぐに二つとも否定されたんだから、笑えるんです。



 文科省が、申請書は計画段階なのだから、なんら文書の偽造に当たらないと言ったのです。

 抗議文の方は、自分に勝手に市教委の名前を使われたと言って頭に来て公文書で抗議した教育長が、あの時は頭に来てカッカ来ていたけど、校長の解任までは考えていなかった、と言ったのです。



(この教育長の責任は問われなくてはならないです、鈴鹿市の市長も責任があります、なんせ任命権者が市長なんですから。)

 
 つまり、校長解任の理由は、きっちり間違いだったのです。


ところが、理由が否定された理事会は、

生徒に、保護者に、教職員に、一切説明なしに放置したのです。

生徒も馬鹿にされたものです。
保護者も馬鹿にされたものです。
教職員も馬鹿にされたものです。
私立学校を統括する県教委も馬鹿にされたものです。
税金から私学助成金を出している県民も馬鹿にされたものです。

 この後、校長解任をした理事の連中は、山中さんに対して、
それまで言ってもいなかった10個ほどの事柄を理由にして、
「だから懲戒解雇にする」と、9月28日、懲戒解雇を言い渡したのです。

 そうして、その理事の人たちは、みんな出世して理事長になったり校長になったり、ちゃっかり役職についておられます。

山中校長先生は、30年鈴鹿高校を作り上げてきたのに、みんなよそから入ってきた理事の人たちに、懲戒解雇されて、

退職金ももらえないし、
生活を支える仕事も取り上げられ、
人間としての名誉を蹂躙され、
無実の罪を着せられ、

3年間経ったのです。

山中さんの、3年にわたる裁判の判決が、12月10日に出ます。

(本当は、明日、10月29日が判決日だったのですが、
裁判所が、裁判所の都合で延期してきたのです。
6月から10月29日判決は決まっていたのです、それなのに。)






古代米の黒米
こんな理不尽なことがまかり通っているのです。

絶対許せないです。

このままでは教育も地に墜ちてしまいます。

勝利を勝ち取り、こんなあほな争いをやめさせよう。



 山中さんを支援してくれる人々の思いを読んで、この事件をふっと振り返ってしまいました。



 














2015年10月26日月曜日

からまつ


93

暗いはたごやの二階で
二子多摩川の鮎をたべた
三人の詩人と
そこは独歩の小説に出てくる
宿屋で大山街道に入口がついてゐた



(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


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 朝から昨日約束した廃物廃棄の運搬をしてあげるため、四日市に行った。ゴミを引き受けてくれる施設の方は本当に親切だった。

 その帰りに郵便局と銀行によって、妻の風邪ひきさんを強引に医者に連れて行って薬をもらって、お昼はスーパーのお弁当食べて、帰ってくるまで寝ていろと約束させて、仕事に行った。

 えいやっとばかり元気に仕事をして、帰ったら妻がまだ寝ていたので静かに、自分も昼寝をした。起きたら6時だった。

 夕ご飯のキムチ鍋を作ってあったかく食べた。
林の道は歩む人をみまもる

 急に寒くなった、伊賀は最低気温が4度らしい。

 冬は駆け足でやってくる。

 紅葉も今年最後かと、もう一度見たいなあと思う。
紅葉の代わりに、北原白秋の「落葉松」を読んだ。

彼方に山を見ながら




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    落葉松
             北原白秋

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
時に紅葉がむかえてくれる
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。


からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。


からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり。
からまつとささやきにけり。


霧もうれし
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。


からまつの林の雨は
さびしけどいよよしずけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。



世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

2015年10月25日日曜日

ものくれる人


92

教会
あの頃の秋の日
恋人と結婚するために還俗した
ジェジェトの坊さんから
ラテン語を習ってゐた
ダンテの「王国論」をふところに入れ
三軒茶屋の方へ歩いた
あの醤油臭いうどん
こはれて紙をはりつけたガラス瓶
その中に入れて売つてゐるバット
コスモスの花が咲く
安ぶしんの貸家


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こんな坊さんはいい。勉強にのめりこんでいたけど恋人ができて、
さらに人類の勉強を始めた坊さんだろう。

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教会の柿が鈴生りだった
 今日は、日曜日なので、妻の通う教会に私も行った。坊さんがいた。

 牧師さんだ。「はじめに言葉ありき」を習った。讃美歌もなかなかいいものだと思った。いい人ばかりだった、いつもそうだ。

 帰り、もの呉れるという人のもとに赴く。ありがたくいただく。家の改築をなさるらしいので不要のものをくださったのだ。

 そのお礼に明日は、軽トラで廃棄物を運んであげる約束をして、帰りに中華料理屋さんに寄って特性ラーメンセットを食べた。
家で、いただいたものを片付けた。

 
 自転車で町から教え子が来た。町から山に向かって自転車で走っていたら先生の家があると思いついて寄ったと言った。

お茶を淹れてあげた
 


 落花生をゆでてあげた。スダチを持たせて返した。
五時半になると暗くなるので帰した。その子はもう50歳になったといった。

 


元気な子(人)である。

備前の国 秋の旅


93

暗いはたごやの二階で
二子多摩川の鮎をたべた
三人の詩人と
そこは独歩の小説に出てくる
宿屋で大山街道に入口がついてゐた



(西脇順三郎詩集「旅人かへらず」)


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 朝から昨日約束した廃物廃棄の運搬をしてあげるため、四日市に行った。ゴミを引き受けてくれる施設の方は本当に親切だった。

 その帰りに郵便局と銀行によって、妻の風邪ひきさんを強引に医者に連れて行って薬をもらって、お昼はスーパーのお弁当食べて、帰ってくるまで寝ていろと約束させて、仕事に行った。

 えいやっとばかり元気に仕事をして、帰ったら妻がまだ寝ていたので静かに、自分も昼寝をした。起きたら6時だった。

 夕ご飯のキムチ鍋を作ってあったかく食べた。
林の道は歩む人をみまもる

 急に寒くなった、伊賀は最低気温が4度らしい。

 冬は駆け足でやってくる。

 紅葉も今年最後かと、もう一度見たいなあと思う。
紅葉の代わりに、北原白秋の「落葉松」を読んだ。

彼方に山を見ながら




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    落葉松
             北原白秋

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
時に紅葉がむかえてくれる
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。


からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。


からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり。
からまつとささやきにけり。


霧もうれし
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。


からまつの林の雨は
さびしけどいよよしずけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。



世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。